こーでぃーの備忘録

その日ふと思ったことやものことについて感じたことを忘れないように書き留めてます。書いてる人はバドミントンと服とまどマギ(マギレコ)が割と好きです。

まどマギ視聴済みのマギレコ視聴者(ゲーム未プレイ)に向けて言いたいこと

こんばんは。こーでぃーです。

マギアレコード 魔法少女まどかマギカ外伝(以下マギレコ)が絶賛放送中ですね。私は毎週楽しみに見ています。面白いです。

また、直近のマギレコ第3話では、まどマギでは3話に定評のあるマ〇さんが登場するという、人によってはにやりとする展開だったりと、ファンサービスも忘れない(マギレコゲーム内のシナリオでもあのタイミングで出てたので、たまたまタイミングが合った説もあるが)姿勢で、視聴者の心を掴んでいくのも素敵だと思います。

さて、前置きはこのくらいにしておいて、今回のブログタイトルの話をしたいと思います。というのも、まどマギは視聴済みでゲームのマギレコは未プレイだが、アニメが始まったので初めてマギレコの世界に触れます。という方の中で、見進めていくうちに、いくつか違和感とかコレジャナイ感とかを感じることが出てくるのではと思っています。

そこで、ゲームシナリオをベースに、これらを感じる要因(完全主観)を書いておくことで、肩透かし感を受けることなくマギレコを楽しんでほしいと思います。なお、ゲームシナリオのネタバレはほぼ排除で書きますが、全体の雰囲気などがどうなっていくのかも含めて、リアルタイムで楽しみたいという方はブラウザバックしてもらえると幸いです。彼女たちの物語の顛末を最後まで一緒に楽しみましょう!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、大前提として、マギレコのストーリーはまどかマギカの設定をフル活用した王道ストーリーであるということです。アニメはかなり暗めな雰囲気で作られてこそいますが、ゲームのシナリオがベースである以上、それはひっくり返らないと思います。(黒江ちゃん関連が不穏ではありますが)

まどマギについては、様々な魔法少女の顛末を目の当たりにした鹿目まどかという一人のキャラクターがどのような選択をするのか、そして、たった一人のまどかという友達を救うために全てを捨てて奔走する暁美ほむらの戦いの物語であると思っています。そして、それぞれがそれぞれのキャラクターとかかわりを持ちつつも、最終的な問題の解決は個人の選択によって行われるものが多く、悪いように言えば、場面によっては独善的な選択を取っていたりと、友情がベースとなっているようなものではないと思っています。

一方で、マギレコは魔法少女間のつながりが強いとともに、立ちふさがる困難に対しての解決方法は、友情や助け合いなど、人とのかかわりがベースになっているものがほとんどであると感じます。友情や助け合いなどといった概念が入ってくると、作品は嫌が応でも王道ストーリーのような雰囲気を帯びてくると個人的には思っていますので、マギレコはやはり王道ストーリーなのだと感じます。

細かい部分を考えると、他にもいろいろなことを書けそうですが、一大巨編になってしまい、可読性を損なう恐れがあるので一旦ストップします。とりあえず、このことを念頭に置いてもらえると、これから先のマギレコの展開がまどマギとは別方向の進み方をするだろうということを感じられるのではと思います。

もうちょっと書こうと思ったのですが、私のブログとしてはかなり長くなってしまったので、こんなところで〆たいと思います。

個人としては、まどマギの設定で王道ストーリーをやるというのはとても面白いスタンスで、まどマギの外伝であるということが生む緊張感と王道的な進行による安堵感との絶望と希望の相転移がマギレコ特有の魅力になりえていると思います。なので、環いろはたちの物語の顛末をぜひ最後まで見て欲しいと思っています。

最後になりますが、本記事が今後のマギレコ視聴の指針 or 継続して見たものの肩透かしを食らい、憤怒の魔女になる前の防波堤として、ほんの少しでも役割を果たせることを願います。

※今後、ゲームとアニメで大幅なストーリー改変があれば、本記事で述べたことはすべて無に帰すのであしからず。。。