こーでぃーの備忘録

その日ふと思ったことやものことについて感じたことを忘れないように書き留めてます。書いてる人はバドミントンと服とまどマギ(マギレコ)が割と好きです。

服に対する「かわいい」について

こんばんは。今日は特に短めです。

 

私は服とバドミントン周りの情報収集のために、

Instagramのアカウントを開設しています。

自分の好きなブランドさんが定期的に上げる、

新作や旧作などのルックを見ると心躍るものがあります。

 

そんなInstagramを見ていると、服関連の投稿によく、

「かわいい」というワードが使われているのを見かけます。

単刀直入に言って、私はこのワードがあまり好きではありません。

 

何故かというと、このワードを使うことは、

その服が持つ多面的な魅力を理解しようとすることをすべて放棄して、

画一的なものにしてしまうことだと思うからです。

 

もちろん、

 

「(この服はベースカラーは白なんだけど、

 ただの白ってわけじゃなくて少しだけ黄色がかっていて、

 さらにはシャツだけどルーズなシルエットになっていて、

 綺麗過ぎない着こなしが可能で、

 さらにはボタンの形がまた独特で)かわいい

 

といった風に、本当はすごい語れる部分があるのだけど、

それを語りだすときりがなかったり、言語化が難しいために、

かわいい」という言葉に終始してしまうことも考えられます。

ただ、投稿を見ていると、どうも上記のような用法では、

使われていないように感じます。

 

(逆にTwitter尊い系漫画を見た人たちの「尊い」コメントには、

その裏の言葉を感じます。一種の偏見な気しかしないですが。。。)

 

短めといった割には長くなってしまいましたが、

要はInstagramにでてくる「かわいい」には、

表面しか見てない薄っぺらさを感じるということです。

 

後は、日常会話でもこの「かわいい」とか「エモい」とか、

物事の画一化を推し進めかねない表現がよく出てきます。

物事をカテゴライズすることは、それらを見やすくする一方で、

そのものの多面性を見る機会を失わせることになるように思います。

そのため、私個人としてはあまり使わないようにしています。

 

哲学的な話をしたり書いたりするのは好きなのですが、

こういう話はどうしても地頭の良し悪しが出てきますね。。。

 

それでは。次は金曜日ごろになると思います。